【何が世界を動かすのか_カンボジアキリングフィールドにて】
〈はじめに〉
学生時代、私は1年間大学を休学して東南アジアを一周した。
休学した理由は何百個もあった気がするし、何もなかった気もする。
確かなことがあるとすれば、ただ単純に、自分の中に存在しているぬるい熱が、行動することで冷え切るのか、それとも燃えたぎるのか確かめたかったのだ。
様々な感情の中で1年の時間を過ごしたが、
その中で1番気持ちの整理に時間のかかった問題について記述する。
〈カンボジア_キリングフィールドへの訪問〉
カンボジアでの滞在中、私はキリングフィールドを訪れた。
キリングフィールドとは『Killing Field』の名の通り、ポルポト政権下に大量虐殺が行われた場所である。
ポルポトは、原始共産主義(極端な農本主義)の名のもとに、自分にとって都合の悪い人間、とりわけ教師や専門家といった知識人を徹底的に粛清した。
その数は、当時のカンボジア国民の4分の1(200万人以上)であった。
メガネをかけていたり、手の平が柔らかい(≒農作業をしていない)との理由で殺された人もおり、老若男女から赤子に至るまでが虐殺をされた。
キリングフィールドには、虐殺の跡がまだ残っていた。
足元を見渡せば人骨が散見され、
首切りに使用されたノコギリヤシが存在し、
薄くはげた木の幹には赤子が叩きつけられて殺された痕が見て取れた。
〈世界を動かすものの正体〉
キリングフィールドを訪れた後、
「ここで感じたことを何かに残さなければ」
「誰かに伝えなければ」と思ったが、思考は停止していた。
恐ろしいという感情が心を支配していたが、
そもそも何が恐ろしいのか整理が出来なかったのである。
殺人を肯定する気は全くないが、テレビのニュースで犯人の動機を聞けば、殺害理由を理解はできないまでも認識することはできる。
しかし、あのキリングフィールドで行われた虐殺行為の動機が全くもって見つからなかったのである。ポルポト本人はまだしも、あの場所で実際に処刑を行った人間には、あそこまで残忍な行為を行う理由があったのだろうか。
何があの国の/あの空間を支配して動かしていたのか。
何によって/誰によって、このカンボジアの歴史と現在が作り出されたのだろうか。
ずっと考えても何も分からなかった。
数年が経ち、私は一つの結論に達した。
あの時の「分からない」という感情は正しかったのだ。
あのキリングフィールドで実際に処刑を行った人間は「空っぽ」であったのだ。
空っぽの人間の動機を探したところで、なにも見つかるはずがないのだ。
虐殺を行った人間は平凡であり、ポルポトのような強烈な思想は存在せず、
あくまで上司の命令に従って作業を実行しただけなのだ。
つまり、私がずっと考えてきた、世界を動かしているものとは『無』であったのだ。
『無』の集合体が世界を動かしていたのだ。
『無』が世界を動かすという矛盾したような解を導いた私は戦慄した。
私でさえも、思考を停止して『無』となった瞬間に悪の片棒を担ぎ始めてしまうのだ。
〈おわりに〉
いま、テレビから流れてくる臭気はあの日のカンボジアと同じだ。
戦争が起きている。
『無』がまた世界を動かそうとしている。
ダメだ。
我々は、
「私を動かすものは私である」
「私の歴史は私が作った」
自信を持って言えるように生きていかなければならない。
我々は考え続けなければならない。
二度と悲惨な歴史を繰り返さないためにも。