柚子風呂と重層的思考
職場で柚子をもらった。
『ありがとうございます!湯船に入れて柚子風呂にします』とお礼を言うと、
『お風呂入れるなんて偉いね』と言われた。
自分にとって湯船に浸かることは日常のルーティンなのだが、20代男性にしては珍しいということらしい。
確かに社員寮で毎月貼り出される光熱費の内訳表?を見てみると自分の部屋の水道代が1番高い(高いといっても寮なので一人暮らしに比べたら十分安いのだが)
大学に入り1人暮らしを始めた当初は、掃除をしてお湯を貯めるという行為のハードルが高すぎてシャワーで済ませていた。
しかしいつからかお風呂に入ることが好きになった。お風呂に入ると身体の表面に着いた1日の疲れのようなものが流れて、新品の自分になれる気がする。
またそもそも水というものに包まれるというのはとても安心をする。
『赤ちゃんの頃は羊水の中にいたから〜』というような科学的な理由?とは別の理由で気持ちが落ち着く。
というのも、自分が水になりたいと思う節があるからだ。
水はどんな形にも変形できる。且つ、水の滴は岩をも穿つし、水は人間にとって不可欠である。
自分もそんな存在になりたい、と、いつからか思っていた。そんな理由で水に対しては尊敬の念?があるため、そのような存在に包まれるお風呂は大好きだ。
柚子風呂から出て布団に寝転がると、身体から柚子の爽やかだが温かい匂いが香ってきて気持ちが落ち着いた。幸せはこんな簡単に手に入るんだなと実感する。
時折こんなくだらない自己分析ばかりしていると、自分は何も進んでないような気がする。
しかし、進化はしなくても深化すれば良いのではないかと最近思う。
定量的な形で誰かに説明できないと自分が何も進んでいないように思えて気持ちが沈んでしまうこともある。また考え込んで自分の存在が宇宙に飛んでいってしまような気持ちになることもある。
しかしそれはそれでいいのではないだろうか。
世間一般では、横軸に思考が広がることばかりもてはやされてる気がする。しかし目に見えなくても、定量的に説明できなくても、縦の世界で思考が深めることで見つかるものもあるのではないか。
どうしても横軸ばかりが評価されてしまうが、縦軸の思考を深めていきたいと思う冬至の日であった。
PS.柚子風呂にハマり自分で柚子を買ってしまった。