歩く猫

日々飽和をして溢れてしまう感情を残すために書いています。

【洋酒喫茶ロダン訪問記 in 尾道】

【洋酒喫茶ロダン訪問記 in 尾道

 

尾道観光を終えてゲストハウスに戻ったが、時計の針はまだ20時を指していた。

 

折角の1人旅だ。

もう少し尾道の夜を楽しみたい。

 

デジタルネイティブの本領を発揮し、指先で世界を検索すると"洋酒喫茶ロダン"というBARなのかcafeなのか分からないお店がヒットした。

「お酒を飲みたい!」という気持ちと「敷居の高いお店はちょっと。。。」という気持ちが混在していた私にとって"洋酒喫茶"の文字は天啓のように思えた。

オシャレとは程遠い無粋者の私が「知らない土地でBARに行く」というシャレオツムーヴメントをできるのがひとり旅というものだ。普段では自分自身のメタに笑われるような行動も知らない街ではすることができる。

 

いつもと違う自分にちょっぴりの誇らしさと気恥ずかしさを抱えながら目的のお店に到着した。

貝殻の形をしたネオン看板を横目にドアノブを回した。

 

「え、、ここは水族館?」

「いや水族館というより竜宮城じゃん」


ダーコイズ色に溢れた店内には貝や海洋生物の剥製が所狭しと並んでおり、海の中にいるような浮遊感を感じた。

齢80を越えているだろうマダムにカウンターに案内されるやいなや、

「このコレクションはいったい何ですか?」と聞いてしまった。

注文もせずにいきなり質問をするというnotシャレオツな私にマダムは優しく教えてくれた。このお店のコレクションはマスターが半世紀以上をかけて集めたものらしい。

目の前に広がる大量の貝(はたまた収集の背景にある年月/熱量/好奇心というもの)に圧倒をされ、刹那的に言葉を失った。

ぽかんと口を開け、notシャレオツ&マヌケな顔の私に、優しい&話し上手なマダムは色々なことを教えてくれた。

貝は何十年もフィリピンに通って取集したこと、マスターとの馴れ初め、珍しい海洋生物の話、その他いろいろ。

 

会話のなかで特に印象に残った言葉がある。

「貝は海の底に在るでしょ。誰にも見られる/見せるわけでもないのに、どうしてこんな綺麗な色をしているのかしらね」

本当にその通りである。

このお店にある貝は、このお店で飾られる運命を知ってこの見た目になった訳ではなく、光の無い海の底であっても同じ見た目なのだ。

どんな環境や運命にあっても同じように生きる。そう考えると、ちっぽけな貝の方が人間よりもずっと強いような気がした。

猿であった時代から集団で過ごしてきた私たちには遺伝子レベルで誰かの目を気にする特性があるのかもしれない。それはそれで重要な事であり、だからこそここまで人類が存続しているのだとは思う。しかし、一億総ツッコミ時代で窮屈となった現代においては、もう少し貝のように生きてもよいのではないか。。。

 

そんなことを考えていると、閉店の時間となっていた。

 

マダムに感謝の気持ちを伝え、私は竜宮城を出た。

竜宮城を訪れた浦島太郎は年を取ったが、私はこの竜宮城を訪れたことで若返った気がする。いや、古い自分が年を取って消え去ったのかもしれない。

 

いつもより深くて長い夜のなか、私は帰路についた。