【美術館に行く意味とは_大塚国際美術館にて】
なぜだろう。
いつからか美術館に行くことが好きになった。
小さい頃はあんなにつまらない場所だったのに。
芸術の勉強した訳でもない
特別好きな芸術家もいない。
美術館を楽しめるという『違いの分かる男』になりたいわけでもない。
自分自身のことなのに、どうして美術館を好きになったのか分からなかった。
しかし最近、美術館を好きな理由が一つだけ分かった。
それは『歴史的/時間的な文脈のなかで自分自身の存在を認識できる』からである。
小学校の頃、社会の時間に歴史を学んだことで数千年の人類の歴史を分かった気になっていた。家族にも『昔に○○っていう出来事があったんだよ!』と自慢げに話をしていた。
しかし、よくよく考えてみれば本当の意味で私の知っている歴史など数十年に過ぎないのだ。社会の時間に学んだ歴史はあくまで机上のものであって、私が見た歴史/体感した歴史など数十年に過ぎないのだ。
自分自身の歴史に限っては、自分がどこから/どういったルーツで生まれてきたのか見当も付かない。(ひいおじいちゃんの顔まではなんとか写真で見たことがある程度だ。)
美術館はそんな私に歴史を教えてくれるのだ。
もう少し敷衍しえ言えば、
数々の年代の美術品を見るたびに
『それぞれの時代にも必ず私のルーツとなった先祖が生きていて、彼らが頑張って生きてきたからこそ私は今この瞬間に美術館に立っている」のだと感じることができるのである。
美術品を見ることで、机上のものであった歴史(表面的であった歴史)が肉付けをされて、本物の歴史(感じることができる歴史)として捉えることができるのである。
歴史を本当の意味で感じることができた瞬間に、
私は私の存在を無条件に肯定することができのである。
遥か昔から脈々と続いた歴史の結果が私であると感じることができて、
私という存在自体に自信を持てるのである。
私のような理由で美術館に行く人は少ないと思うが、
ちょっと疲れてしまった時や、ちょっぴり自信を無くしてしまった時には、
是非美術館を訪れて、自分自身の存在をそのまま認めてあげるのもオススメである。