歩く猫

日々飽和をして溢れてしまう感情を残すために書いています。

人の間

ふと携帯を手に取る。

 

暇があれば携帯を手に取ってしまう現代病に侵されている自分に少しの罪悪感を感じる。

 

携帯を手に取ったものの特にやることはない。

Twitter(Xが正式名称だが慣れない)やインスタも特に更新がないため、見ることがない。

 

このような時は決まって写真フォルダを見る。

特に1年前の写真を見返すようにしている。

 

『この出来事から1年かぁ〜』という感慨に耽ることで、「1年は意外と長いから焦らなくてもいいよ」という言葉と、「すぐに1年経っちゃうから努力しなよ」という言葉を交互に自分に投げかける。

 

子供の頃は自分が年老いて死ぬことは遠い先のことに思えていた。そんなこと起きないのではないかというレベルの遠いことに思えていた。

しかし最近は、1年がこんなに早いのなら80歳になるのもあっという間だと思うようになった。

 

かといって、80歳までに何を成し遂げたいかは分からない。何を成し遂げなくても別に幸せである気もしている。時折、人生とは何なのだろうと思う。別に病んではいない。むしろフラットな気持ちとして、人生とは何でどうやって生きるのが正解なのかと思う。

 

以前、夢の中で知らない人が、「人間という文字は人の間と書きます。つまり我々は普段は人ではない存在で、現世は人であるつかの間という時間です。だから大切に生きなさい(大意)」と言っていた気がする。

 

時々、この夢を思い出しては、なるほどな、と思う。

人生に目的は中々見つからない。でも、人である時間は少ないということは確かにそうであると思うし、貴重だ。

私という存在がどんなものであるかは分からないが、人である時間は確かに希少である気はする。

 

とりあえず、何か無駄にしないようには生きようと思う。(まぁ無駄で何に役に立つのか分からないことが大好きなのではあるが)

 

そんなことを考えていると、写真フォルダの写真を一通り見終える時間となる。

 

そんな私の日常であるが、

とりあえず人である間は、

人として色々なことに挑戦したいと思う。