※このブログは非常にくだらないため、時間を無駄にしたくない紳士淑女の皆様は見ないでほしい。
『おっぱいイデア論』
これは私史上最大の発見である。
古今東西、いつの時代も男たちは不毛な議論に情熱を注いできた。
「どんなおっぱいが好きなのか」
「ちっぱいか、おおおっぱいか」
その議論は尽きることなく時代を越えて継承されてきた。
まさに阿呆界のフェルマー定理である。
それぞれの矜持をかけて、理想的なおっぱいについて討議を交わした我々であるが、
共通して言えることは、「おっぱいが好き」ということである。
それぞれの理想は違えど、皆おっぱいが好きなのである。
これが意味することは、おっぱいとはイデアなのである。
我々が好きなのはおっぱいのイデア、つまり概念のおっぱいである。
おっぱいイデア論が広がれば、世界平和も遠くはないだろう。
ノーベル賞を受賞している私の姿が目に浮かぶ。
いや。。。
たった今、この完全無欠と思われた理論の矛盾に気が付いてしまった。
おっぱいのイデアが好きなのであれば、我々は形而上学的なおっぱいで満足することになってしまう。そんなことはあってはならない!
あの膨らみに詰まっている夢を触ることなく満足することなどありえないのである。
概念などという小難しいもので我々の夢を、希望を満たそうなど浅はか極まりなかった。世界平和どころか世界中の男を発狂させてしまうところであった。
我々の好奇心/探求心は、ゴビ砂漠より広くマリアナ海溝より深いのだ。
ここにて私史上最大の発見は見事に打ち砕かれたのである。
めでたしめでたし。