歩く猫

日々飽和をして溢れてしまう感情を残すために書いています。

僕が僕であることを証明したならば、きっと世界はその重さに耐えきれずに、風船のように割れてしまうだろう

『僕が僕であることを証明したならば、きっと世界はその重さに耐えきれずに、風船のように割れてしまうだろう』

 

数年前に携帯に書いたメモを見つけた。

よくもまぁこんな恥ずかしい文章を書いたものだなぁ、と思うと同時に、核心をついているようにも思えた。

 

人類の歴史上、私と全く同じ人間(同じ遺伝子を持ち同じ環境で生きてきた人間)など存在するはずがない。そう考えれば私を説明することは容易な気もする。

 

しかし、実際は難しい。

『私は〜が好きで、〜を綺麗と思って、〜を見ると泣きたくなる』などと列挙しても、同じ条件に当てはまる人間は絶対に存在するはずだ。

 

そう考えれば、

私が私であると証明することは世界を押し潰すほどの重さは確実にあるように思える。

(私の存在を他の誰とも被らないところまで説明していたら、何百年時間があっても足りない気がする)

 

最近は人の命が軽く扱われている。

しかし、人ひとりの命は、存在は、この世界よりも重いものなのだ。

加えて、人の関係は蜘蛛の巣のように繋がっている。そうであれば、人ひとりは世界が何百個分の重さがあって然るべきなのだ。

 

疲れた時は自分自身が本当にちっぽけで軽い存在に思えてしまう。だが、そんなに軽い存在だと思うなら、自分が自分だと証明できるまで、説明し続けて欲しい。

 

 

人に優しさできる人は、自分に優しくできる人だと思う。みんなが自分にやさしくできる世界になればいいと思い、ペンを置く。

 @初めて訪れた喫茶店にて 歩く猫より